4月10日にJapan Endovascular Treatment Conference2009に1日だけ参加しました。全身の血管疾患の血管内治療に関する学会で、血管外科や循環器内科、脳神経外科、腎臓内科、放射線科などなど様々な診療科の医師らが一同に会する、貴重な場ではないかと思います。未曾有の高齢化社会が迫っており、"血管とともに老いる”という言葉通り、今後も血管病は爆発的に増えていくものと思われます。
ライブ自体にはあまり目新しいものはなかったのですが、プログラムに掲載されていた慈恵医大血管外科大木教授の記事を興味深く拝見しました。絵に描いたようなアメリカンドリームを成し遂げ、アメリカで確固たる地位を築き、年収も億単位であったそうですが、そのような立場から、敢えて年収1/10の慈恵医大の教授に就任したわけです。人間は地位やお金では満足は得られない。人間はつまるところ衣食足りて「ときめき」を求める、そうです。他人の赤ちゃんのベビーシッティング(外国人の治療や育成)をして高額な収入をもらうのと、年収は1/10でもわが子(日本の患者や慈恵の後輩)の育児をするのとどちらがやりがいを感じるか?
凡人には理解は遠く及ばないわけですが、それでも共感を覚える行動、言葉です。
以下はプログラムに掲載されていた記事(ドクターズマガジン2008年11月号の記事)からの抜粋です。
資本主義の宿命とも言えますが、アメリカは全ての側面で短期決戦の国。そのため、企業においては成果主義、経済的インセンティブで社員に競争させ、近視眼的な成果を求める。その結果、社員同士の連帯感は薄れ、個人主義がはびこる。社員は評価対象とならない仕事からは「Not my job」と言って手を引き、組織への帰属意識の薄れも手伝い、会社を転々とすることでキャリアップを図ります。このように本拠地を持たない社会、自己中心がまかり通る社会がアメリカです。人間の普遍的な欲望は人から感謝されることなのに、彼らは短期決戦で富を得るのと引き換えに、仲間からの感謝や社会への貢献による満足感を捨ててしまった。ですから経済的に恵まれていても、アメリカ人で本当に幸せで、心穏やかに暮らしている人は驚くほど少ないのです。個人の利害関係でつながっているゲゼルシャフトたるアメリカ。その集団の虚しさを知っているからこそ、利害とは無縁の友愛をベースにつながっているゲマインシャフト、いわば村社会を、慈恵医大の外科講座で形成していきたいと思っています。それは、アメリカの指向する物質主義や個人主義に対する僕のアンチテーゼであり、生涯をかけて求めるものでもあります。
抜粋終わり。
個人のスキルアップに励むことは大変重要ですし、現代社会を生きていく我々には絶対に必要なことと思います。しかし”人間はつまるところ衣食足りて「ときめき」を求める”ということを凡人達も胸にしまっておく必要があると思います。自分としては地位もお金もありませんが、「ときめき」を感じやすい職業であり、いままで胸に詰まっていたわだかまりがちょっとだけ解けたような気がしました。